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沿革 校歌・學生歌


■桜修館中等教育学校の玄関。

 ■都立大附属高校と桜修館の二つの校名が並んで書かれてましたが、現在はひとつになりました。

●歴史

■出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2011年1月15日 (土) 01:15; データ (投稿記録) による版

過去の名称 府立高等學校尋常科
都立高等學校尋常科
都立新制高等学校
東京都立大学附置学校
設立年月日 1929年2月

概要
旧制七年制高等学校(尋常科4年、高等科3年の課程)の府立高等學校尋常科を前身とする新制高等学校である。
府立一中(現:日比谷高校)内において尋常科を設置した7年制の府立高等學校として設立。その後、1943年に東京都制の実施により都立高等学校と改称。学制改革により、1948年に都立高等学校は、高等科が他の旧制都立学校とともに東京都立大学となり、尋常科は都立新制高等学校に改組された。1949年に男女共学となり、1950年に東京都立大学附置学校となり、同年東京都立大学附属高等学校と改称した。

都立高校全盛期にあっては、同学区の新宿高校や戸山高校に次ぐ進学校であった。都立大学の附属学校として同じ敷地内にあったため、第二外国語としてドイツ語、フランス語の選択授業を大学教員が行っていた。また、他校に先駆けて理学部、工学部への推薦入学枠があった(後に他校にも推薦枠が開放された)。

2005年、東京都の学校改革により、東京都立大学は「都立大学」ではなくなったため、制度上は東京都立大学の附属校ではなくなった。定時制は同年度限りで閉科し、全日制の課程も実質的に2006年度に新設された東京都立桜修館中等教育学校へ吸収されることとなっており2010年度には閉校予定である。

校風
「自由と自治」および「真理の探究」を伝統的な精神としている。

府立高等学校以来の伝統であり、教育理念となっている。府立高等学校の初代校長川田正澂の理念「英国イートン校の教育方針である英国風の格調高い人物養成を軸に、日本の高等学校の伝統とする自由と正義を重んじ、真理を愛好する自主的な高校精神」に基づいていると言われる。

教育目標
「人間性を尊び、自由と自治を重んずる校風のうちに、知性と体位を向上させ、品位を陶冶すること」としている。

沿革
1929年 - 府立高等学校(尋常科4年、高等科3年)が東京府立第一中学校内にて開校。
1932年 - 現在地へ移転。
1943年 - 都制実施に伴い、都立高等学校と改称。
1948年 - 新学制実施。都立高等学校尋常科を都立新制高等学校とする。
1949年 - 男女共学となる。
1950年 - 東京都立大学附置学校、ついで東京都立大学附属高等学校と改称。
1952年 - 学区合同選抜制度導入。
1967年 - 学校群制度実施。広尾高校、目黒高校と23群を組む。
1982年 - グループ合同選抜制度導入。21グループに属す。
1991年 - 東京都立大学の八王子移転が完了。
1994年 - 現在の単独選抜制度導入。
1999年 - 創立70周年記念式典挙行。
2006年 - 定時制閉課。
2009年 - 全日制募集停止。
2011年 - 東京都立大学附属高等学校が閉校。都立桜修館中等教育学校に校旗等を引継。

 歴代学校長
旧制

初代:川田正澂
新制

初代:森脇大五郎 - 都立高等学校校長、国立遺伝学研究所所長、日本遺伝学会会長
第2代:小笠原録雄
第3代:白旗信 - 東京都立大学名誉教授、獨協大学学長
第4代:穂刈四三二 - 東京都立大学名誉教授、城西大学学長
第5代:永倉俊光
第6代:小場瀬卓三 - 東京都立大学名誉教授、日本フランス語フランス文学会会長
第7代:古川源
第8代:安岡善則 - 東京都立大学名誉教授
第9代:三浦武
第10代:加崎英男 - 東京都立大学名誉教授
第11代:大蔵隆雄
第12代:飛田満彦 - 東京都立大学名誉教授、東京都立工業高等専門学校校長
第13代:増田高廣
第14代:堀口孝男
第15代:峰岸純夫 - 東京都立大学名誉教授
第16代:久保謙一 - 東京都立大学名誉教授、東京都立航空工業高等専門学校校長
第17代:大村芳正 - 東京都立大学名誉教授
第18代:井出弘之 - 東京都立大学名誉教授
第19代:中島平三 - 東京都立大学名誉教授、学習院初等科長、日本英語学会会長
第20代:堀信行 - 東京都立大学名誉教授
第21代:生田茂 - 東京都立大学名誉教授
第22代:松浦克美 - 首都大学東京教授
第23代:石坂康倫 - 東京都立桜修館中等教育学校校長、東京都立日比谷高等学校校長
第24代:須藤勝 - 東京都立桜修館中等教育学校校長、東京都立三田高等学校校長

■沼津寮 →写真集へ


昔の懐かしい写真をご覧ください→こちらから。(十数枚あります)


■懐かしの写真



昔の柿の木坂(大学の塀)
    
現在の風景


柿の木坂  



パーシモンホールの入口昔の大学通用門付近     



昔の柿の木坂交差点のパン屋さん
    
現在の柿の木坂交差点(花やさん?)






                 反対側の和菓子の「つくし」は綺麗になってましたが健在でした。    





現在の正面玄関 現在の正門付近



■校歌・學生歌のDVD収録時の写真
 
校歌・学生歌のDVDの頒布については過去情報をご覧ください。









■最後の記念祭の写真
母校最後の記念祭(2010年)に同窓会が出展
(都立大附属としての最後で、記念祭は桜修館に引継がれ現在も行われております。以下は当時の記事ですがそのまま掲載しております。
また、最近の記念祭については桜修館同窓会のHPに掲載されてます。

 母校の最後となる「第62回記念祭」が、2010年の9月11日(土)12日(日)に開催されました。今回学校から、当会と府立高等学校同窓会に、「ネパール会の閉鎖により部屋が空くので両同窓会で使用しては」との提案があり、府立高校同窓会と相談の結果、「記念祭に訪れる両同窓会会員の休息と懇談の場と、都大附と桜修館の生徒に80年の歴史と伝統を認識してもらうこと」を目的に、A棟4階のLL教室に「同窓会くつろぎルーム」を出展しました。 内容は、

@「八十年の歴史を映像で確かめよう"」をテーマに、創立70周年記念として制作された「鳳雛たちに乾杯」のDVD上映と、当会が制作した「校歌・学生歌・寮歌・記念祭歌集」DVDの試写

A「先輩と校歌・学生歌・寮歌・記念祭歌を歌おう"£

B「府立高等学校の歴史的資料の展示」です。

初日の午前11時30分からは、府立高校の有志「一土会」の皆さんが来校し、校歌・学生歌・寮歌を朗々と歌ってくださいました。 今年からは桜修館だけの記念祭となりますが、“記念祭”という言葉は継承されると言われており、両同窓会は企画を練り直し、再度出展を予定しています。 八十年の伝統を受け継ぐ6年制の中等教育学校「桜修館」の新しい記念祭に是非ご参加ください。日時等は決まり次第このHPでお知らせします。

















  

※投稿をお待ちしてます。(なつかしい写真をお持ちで公開できる方、「ご連絡」欄からに添付してお送りください。)



■校歌・學生歌 
 
今回校名が消えることになり、DVD に校歌や文乙歌などその他の歌を収録しました。その中から歌詞を3曲掲載します。(DVDをお買い求めください)

歌詞をクリックすれば音楽が流れるようにしたいのですが技術不足です。どなたかHPを手伝って下さいませんか。








会報の一部を掲載します。(特定文字の文字化けは修正したつもりです)


私の読んだ第八寮歌「春残更に」の情景

                                                     須田大春(8期)

 1.春残更に銀城の   晩鐘窈冥に谺せば  聲なき聲は拡ごりて 不羈卓犖の若人は 永劫の生命に夢覚めぬ 

ハルザンコーニ ギンジョーノ カネヨーメーニ コダメセバ コエナキコエワ ヒロゴリテ フキタクラクノ ワコードワ
 トワノイノチニ ユメサメヌ

 06-0752 残更 ザンコウ 残りの夜(午前4時ごろ)

11-0525 銀城 ギンジョウ 中国の県名???

       暁鐘 ギョウショウ 夜明けの鐘

08-0661 窈冥 ヨウメイ 奥深く暗い。奥深くて測り知れぬさま

01-0236 不羈 フキ 拘束されぬ。 羈は馬のおもがい、たづな。

02-0557 卓犖 タクラク 超えすぐれる

 春の夜明け前。銀城の暁鐘の音が暗闇にこだまする。残更は五更。夜を5つに区分して5番目というから午前3時から5時の間か。藤村は「夜明け前」で明治維新の前夜を維新の50年後に書いたが、春残更の夜明け前はリアルタイムで書かれた敗戦前夜である。暗闇に吸い取られかすかに聞こえた暁鐘の音に、「不羈卓犖」の若人が永劫の命に夢醒める。東京高校が尋常科の募集を停止して以来、都内に比類無い受験最難関校となった都立高校の生徒は、自らを卓犖(=超越的に優れている)といって恥じるところが無かった。不羈(=くつわをはめられない野生馬)の伝統は、卓犖とはとてもいえないわれわれ新制の世代にも受け継がれている。

 2.嚶鳴の友真帆挙げて 引くや真理の澪標  轗軻の嗟嘆深くとも 斗?の人と云ふ勿れ 大声俚耳に入らずとぞ

オーメーノトモ マホアゲテ ヒクヤシンリノ ミオジルシ カンカノナゲキ フカクトモ トソウノヒトト ユーナカレ

 タイセイリジニ イラズトゾ   ゙

02-1182 嚶鳴 オウメイ 鳥が相和して鳴く。鳥が友を求めて鳴くさま。

08-0197 真帆 マホ 順風に孕んだ帆

07-0297 澪標 ミオジルシ(ミオツクシ) 水路を示すために水中に打った杭

10-1066 轗軻 カンカ 車の進みがたいこと。志をえないさま。

02-1122 嗟嘆 ナゲキ なげく。嘆きたたえる。

02-1122 斗?之人 トソウノヒト(トショウノヒト) 器量が小さくつまらぬ人物

03-0367 大声不入於里耳 タイセイリジニイラズ 高尚な言論・高雅な音楽は俗人には解せられない

 永劫の命に目覚めた「不羈卓犖」の若人たちは、真理の道をまっしぐらに進もうとするが、真帆どころではない逆風で前に進むことが出来ない。「轗軻の嗟嘆」=時の世に受け入れられないと嘆くとしても、「斗?之人」=役に立たないつまらぬ人間と評価してもらっては困る。真理を説く言葉がミーハーに受け入れられないのは、いつものことだ。

3.さはれ戦雰迫り来て 道義地に墜つ真中に 世の木鐸と衿持負ふ 我ら起たずば蒼生の 如法闇夜を如何にせむ

サワレセンフン セマリキテ ドーギチニオツ タダナカニ ヨノボクタクト ホコリオウ ワレラタタズバ ソーセーノ

 ニョホーアンヤオ イカニセン 

06-0001 木鐸 ボクタク(モクタク) 文教を施すひと

09-0835 蒼生 ソウセイ 人民。あおひとぐさ。

03-0635 如法暗夜 ニョホウアンヤ 真の闇

 とはいっても、(第一高等学校のように)「栄華の巷を低く見て」世の中に超然とすることは出来ない。戦争はすぐそばまで迫ってきており、道義は地に墜ちている。このときこそ、世の木鐸としての誇りをもった我らが立ち上がらなければ、真っ暗闇のなかにいる人民を救うことはできないのだ。戦後の学生運動のアジ演説そのままである。学生運動の先駆性をとなえた武井昭夫全学連初代委員長(輝ける委員長と呼ばれた)らが日本で最初の高校自治会を八雲が丘に設立したのは、このたった4ヵ月後1945年10月25日である。「砂川」の全学連書記長高野秀夫も、60年ブント書記長の島成郎もそこにいた。

  4.見よ戎羯は跳梁りて 兵燹鳳城涜す秋   征驂馳せて鸞纛に あはれ護国の鯨波捲く 健児が悲願誰か知る

 ミヨジューケツワ ハビコリテ ヘーセンホージョー ケガストキ セーサンハセテ ラントーニ 

アワレゴコクノ ゲーハマク ケンジガヒガン タレカシル   

05-0005 戎羯 ジュウケツ 戎は西方のえびす。羯は匈奴の別種で五胡の一。

02-0085 兵燹 ヘイセン 戦争のために起こる火事。燹は野火。

12-0790 鳳城 ホウジョウ 長安。帝都を言う。

04-0817 征驂 セイサン 遠くに行く車馬。驂はそえうま。

12-0890 鸞纛 ラントウ 天子の用いる大きな旗。

12-0754 鯨波 ゲイハ 衆人一斉に上げる聲。鬨の声。

米軍の空襲ははげしくなり、首都東京が兵火のさなかにあるとき、はるか国土を離れて「皇軍」の旗の下に戦っているあわれ(=あっぱれ?)な健児たちの心中はいかばかりであろうか。

  5.北斗の啓示高くして 短檠ゆるゝ今宵しも 挙ぐや警世の宴莚 八雲ヶ丘に鳴り出づる ?鞳の音聴かざるや

 ホクトノサトシ タカクシテ タンケーユルル コヨイシモ アグヤケイセノ ウタムシロ ヤクモガオカニ ナリイズル

 トートーノオト キカザルヤ

08-0290 短檠 タンケイ 短い燭台。

12-0177 ?鞳 トウトウ 鐘の音、瀧の音。

 こちらは、別天地の八雲が丘。北斗七星は天空高く変わることなく北を指し示しているが地上は灯火管制でろうそくが寂しくゆれている。「警世の宴莚」が盛大に催されたとはとても信じ難い。「?鞳の音」は暗い夜闇に吸い込まれる鐘の音ではなく「明けぬ夜はない」と信じて明日を準備する若者たちの「夜をこめて」の語らいだったと信じたい。

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府立高等学校という固有名詞のない学校を後継した東京都立「大学付属」高等学校という、固有名詞のない学校が消えるにあたってみんなで難しい歌を歌った日の記憶のために。

*諸橋轍次「大漢和辞典」による。(数字は巻―ページ)


校歌等の継承にあたり、変更・改訂の決定事項について

                                                前田高史(14期)

 2011年5月19日、桜修館中等教育学校校長室においてなされた会議において、下記事項が確認され、継承されることが決まりました。

出席者:都立桜修館中等教育学校:臼田三知永副校長、大関 英先生(音楽担当)

    府立高等学校同窓会:楠川絢一理事長、山田早苗(一土会代表)、吉松安弘

    都立大学附属高等学校同窓会:野口貞義(4期・同窓会事務係)、前田高史(14期・音楽智識研究会)

1、校歌を伝承するに当たり歌詞と曲の統一

 @「八雲」については「やくも」と発音する。

   2011年に閉校記念発売のDVDにおいて、字幕が「やぐも」となっているのは誤り。

 A一番の歌詞で説明すると、「生気天地に…」の「天地」の部分は、符点八分音符と十六分音符が正しい。

 B一番の歌詞、最後の節。「八雲  府立高校は、二分音符を符点にして歌う習慣があったが、これは譜面の通りで良い。

 C二番の歌詞、「崇高き」は「たかき」と歌う。

 D三番の歌詞、最後の節。「我等が使命」が正。「我らの使命」は誤り。

2、学生歌「青春といふ」の伝承について

 E歌い出し。「青春といふ 青春といふ」一土会バージョンを正とする。

 F「新たなる日は」の下線部分の音が違う。

 G最後の節、「我等が府立 若人府立」を「我等が都立 若人都立」と新制で歌っていたのは、「我等が誇り 若人桜修館」に改めることで伝承していただくことになりました。

3、文乙歌(いざ友)について

  会議では取り上げられませんでしたが、今後も歌い継がれるであろう名歌の一つである、文乙歌について、

この紙面をお借りして、正調の楽譜を資料として紹介させて頂きます。  下記譜面にて「▼」マークの付いた音が伝承歌と違う部分です。

文乙歌(いざ友)

以上、確認事項を整理しました。この内容に基づき桜修館において継承される事が確認できたことは、都立の一卒業生として大変嬉しく思いました。

それから音楽の大関先生に、新制記念祭歌にも歌い継いで頂きたい良い歌があることをお話しておきました。




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