私が平成一八年四月に桜修館に異動したとき、都大附にはすで吹奏楽部があり、顧問は偶然にも二〇年来トロンボーンで一緒に演奏をしていた篠本教諭だった。
これから立ち上げる桜修館吹奏楽部のために、チューバやホルンを貸してもらい、第一音楽室を分担して使用させてもらった事を覚えている。
桜修館一期生は、秋頃にやっと一曲吹けるようになり、都大附が誘ってくれて記念祭で一緒に演奏させてもらった。
当時の部長さんたちは中一の子たちに目をかけてくれて、譜面台に置く譜面隠しを桜修館の分も用意し(お金を出して買っておいてくれた)、本番前に渡してくれたりした。
都大附の顧問を初め部員の皆さんに陰でお世話になっていた出来事の一つだと思っている。
月日は過ぎて平成二一年四月、とうとう篠本教諭も異動し残された都大附吹奏楽部委員は九名。私は前任校吹奏楽部が少人数で苦労したこともあり、桜修館中等四年と一緒に高校吹奏楽コンクールに出ようと持ちかけた。
しかし九名が首を振ることはなかった。
「自由と自治」の都大附と顧問主導型の桜修館では部活運営に違いがあり、彼女たちにとって前向きになれる話しではなかったと思う。
微妙な関係で迎えた秋の記念祭や高校地区音楽祭が終わった頃、九名の部員は五名に減っていた。
私や桜修館のメンバーとは深いつきあいもないまま四人が部を去ったのだが、それでも残った五名は引退となる三月末の演奏会に向けて頑張ってくれた。
三月二二日の演奏会はめぐろパーシモンホールを使用し、「都大附第二五回スプリングコンサート」と「桜修館第三回定期演奏会」の合同企画となった。
演奏が上手くいったことも喜ばしいが、この一大イベントは何より都大附と桜修館の吹奏楽部の距離をぐっと近づけてくれた。