最後の年(平成二二年)六月。都立大附属弓道部のインターハイ東京都予選が終わった。
女子団体は準優勝。男子団体は第四位だった。
優勝校のみが行ける沖縄インターハイ本線のチケットは、僅差で届かなかった。
平成二〇年四月、顧問になった。
閉校が決まったこの学校は、新しい学校に対する嫉妬もあってか、どことなく空虚感が漂っていた。
私は「この部が学校に活気を与え、この部を何かを遺せないだろうか」と真剣に考えた。
「関東大会本戦に行こう。」本気だった。
部員はこの提示に猛反発した。一生懸命に稽古はしていても、それまでの公式戦での入賞は
たったの一回のみ。
優勝や上位大会に出場しようなどといことは、まさに青天の霹靂。
部員は「教師の横暴だ」と言った。
私は部活動がこのまま空中分解するかもしれないと思っていた。
しかし、ここからがこの部員、いや都立大附属の生徒の素晴らしからったところである。
教師と生徒の対立という「安易な道」を選ばなかったのだ。
時間の経過とともに、部員はこの言葉をしっかと受け止めた。
高校三年生は、六月までの三か月程度の活動の中で、関東大会出場やインターハイ出場を本気で目指してくれた。
この代は思うような結果は出せなかったが、この姿がこの部の躍進の基礎を築いた。
この姿をきた後輩は、厳しい稽古に耐え、本当に血の滲むような思いで稽古をし、努力した。強くなっていったのである。
ここで三年間(平成二〇年度〜二二年度)の結果を載せる。
大阪全国選抜大会個人出場・山梨関東大会団体男女出場・東京関東大会個人男女連続出場・と大会団体優勝一回・都大会準優勝三回・都大会個人優勝二回。
結果が全てではないが、これは部員が頑張った証である。
都立大附属の名前は高体連の正式記録として永久に遺る。
末筆ではあるが、この部を育ててくれた松田政幸先生・横江直樹先生・乃美弘樹先生、諏訪和博コーチ、関東近県の強豪校、都高体連弓道専門部、そして四一名の部員に感謝する。