昭和4年1月30日 府立高等学校の創立認可され、東京府告示一〇九号により東京府立第一中学校(現・日比谷高校)内に七年制高校(高等科三年、尋常科四年)として開設される。
同年2月23日 東京府立第一中学校校長・川田正澂(都立大正門内に胸像がある)初代府立高等学校校長となる。
同年4月6日 第一回入学式(尋常科生徒八〇名)。
昭和7年3月10日 高等科第一回卒業式。
同年4月21日 東京府荏原郡碑衾町に校舎を移転する。(現・都立大学A棟。附属高校AB棟間の大欅は、府立高校の敷地となる以前からある校内唯一の大樹である。)
昭和9年4月21日 社団法人府立高等学校父兄会を創設する。
同年5月 静岡県沼津市に沼津水泳寮を取得する。
昭和10年5月 二十五mプール及び附属脱衣場を建設する。
同年12月14日 初代校長・川田正澂死去。
昭和11年3月26日 阿部宗孝第二代校長となる。
昭和16年9月13日 宇野喜代介第三代校長となる。
昭和18年3月 永川山林を借り入れ、杉苗を植樹する。
同年7月1日 東京都制施行により校名を都立高等学校と改称する。
昭和18年9月30日 佐々木順三第四代校長となる。
昭和21年11月16日 森脇大五郎第五代校長となる。
昭和23年4月1日 都条例第四二号により都立高等学校尋常科を東京都立新制高等学校とし、初代校長は旧制都立高等学校長・森脇大五郎の兼任、尋常科より九九名を全日制第一学年として発足。
また定時制課程の併置も行われることになり、初代定時制主事は森脇校長の兼務とし、六月一七日前期一〇名、中期一一名、後期一二名が入学する。
校歌、校旗、校章は旧制高校のものを継承して今日に至る。
(作昭和四八年は、この年からかぞえて満二五周年となる)
同年9月30日 鈴木三之助、松岡正雄、萱本正夫、斎藤功、戸谷洋、網豊作の六名、新校全日制の専任教諭はじめて任命される。
昭和24年3月5日 学区制の実施により第二学区に編入される。
同年3月25日 定時制課程七名卒業。
昭和24年4月1日 都立高等学校尋常科一三〇名を第一学年に編入し、また男女共学を実施し、女子生徒二〇名を第一学年に転入を許可する。
(この年、一年三学級、二年に学級、旧制尋常科消滅)
定時制課程を第一、第二、第三、第四学年に学級編成がえを行う。
同年12月30日 東京都教育委員会規則第二号により校名を東京都立大学附属高等学校と改称する。
昭和25年1月26日 東京都公示第五一号により東京都立大学附置学校となる。
昭和25年1月28日 東京都立大学附属高等学校(当時は本校の外、都立大学附属工業高等学校があった)取り扱いに就いて東京都知事と教育委員会との間に8項目の定約が行われた。
同年2月23日 東京都立大学助教授・小笠原録郎、第二代校長となる。
同年5月28日 育成会(定時制)創設される。
昭和25年4月1日 生徒自治会規約成案となる。
同年11月19日 木造瓦葺新校舎三棟完成し、都立大学A棟内より移転する。
昭和26年3月10日 全日制第一回卒業式挙行、九八名卒業。
昭和27年4月1日 各学年三学級、生徒定員四五〇名となる。
同年4月1日 太田清蔵氏より太田奨学金が創設される。
同年 父兄会は、四書整備三か年計画を開始する。
昭和31年6月2日 第二代校長小笠原録郎死亡により校務主任鈴木三之助校長代理となる。
同年8月3日 都立大教授白旗信、第三代校長となる。
昭和33年10月23日 創立十周年記念式典行われる。
昭和34年10月1日 都立大学教授・穂刈四三二、第四代校長となる。
昭和35年4月1日 学級増で、第一学年四学級二〇〇名(男一三五、女六五)となる。
同年12月2日 鉄筋コンクリート円型平屋建独立図書館落成する。
父兄会の寄贈による(現在はすでに手ぜまになり、新館建設が待望されている)。
昭和36年5月30日 木造二階建南校舎増築される。
昭和38年3月31日 新館(B棟東寄りの一部)鉄筋コンクリート造り四階建(音楽室をふくむ)落成する。
昭和38年4月1日 急増対策のため第一学年七学級三五〇名(男二五〇、女一〇〇)となる。
都立大学教授永倉俊充、第五代校長となる。
昭和39年4月1日 第一学年六学級三〇〇名(男二〇〇、女一〇〇)と定まる。
昭和40年9月30日 生徒自治会館(部室)落成する。
昭和41年3月15日 体育館建設される。
昭和41年6月1日 都立大学教授・小場瀬卓三、第六代校長となる。
同年10月14日 学校群制度実施により、広尾、目黒両高校とともに第23群となる。
昭和42年4月1日 都立大学教授・古川原、第七代校長となる。
昭和43年3月15日 卒業式延期となる。(学園紛争の始まり)
昭和44年9月〜10月 学園紛争はげしく、管理棟あるいは新館の封鎖が行われる。
昭和45年6月 再び学園紛争。管理棟の一部等封鎖される。
同年12月1日 都立大学助教授・安岡義則、第八代校長となる。
昭和46年3月31日 A棟東寄り一部鉄筋コンクリート造り四階(視聴覚室、食物室、被服室をふくむ)新築される。
昭和47年4月25日 A棟完成、管理棟関係移転する。
昭和47年9月〜10月 三度学園紛争起る。
昭和48年3月12日 旧木造管理棟とりこわしとなる。
昭和48年4月1日 第一学年の定数二七〇(男女とも一三五)となる。
昭和49年4月1日 都立大学教授・三浦武、第九代校長となり、現在に至る。
同年7月20日 旧木造校舎のとりこわし始まる。
同年9月2日 B棟及びA棟特増完成となる。(化学室・物理室・生物室・地学室・美術室をふくむ)
同年9月24日 環境整備工事完了。正門、バレーコート、テニスコートの整備をふくむ。
今年度をもって、校舎のすべては鉄筋コンクリート造りとなり、一応の校舎落成期を迎えたが、まだ残された問題がある。
1.格技場の建設
2.図書館の建設
3.部室の増改築
4.社会科教室等特別教室の増設
5.教育機器の充実
これらの施設の充実をはかりながら、学習のためにも、体力づくりにももっともふさわしい学園の建設をめざして、都立大学付属高校は今後も発展をつづけるであろう。