Homeコラム都高六十年記念誌思い出あれこれ(1)

昔を思う 元木 光雄

 旧制の教育制度では中学校は五年、高等学校は三年で、合わせて八年であったが、府立高等学校はそれを尋常科四年・高等科三年の七年で終える学校であった。 私は病気をして卒業にやっぱり八年かかった。 その頃は小学校五年から中学校を受験できたので、秀才は小学校から高等学校の十四年を住人で突破することが出来た。 それに進学事情が今日とはことなっていたので、高等学校に入った者は殆どが東大など当時の帝国大学に進むのが当たり前であった。 旧制の高等学校の生徒はぼろぼろの学生帽にしみだらけの白線二本をまいて、マントをはおり、高下駄をがらんがらんはいていた。 府立の服装規定はそれと違って外套を着て、下駄は禁止であった。 でも私達はマントを着て、下駄をはき、よく生徒課の先生に追いかけられたものであった。 私の頃は尋常科は四〇人ずつの二組、高等科は文甲・文乙・理甲・理乙の四類それぞれ三〇人ずつであった。 今からすれば行き届いた教育であったといえるであろう。 府立高校は府立一中から分離・発展した学校であったので、校章は今もそうだが、府立一中(今の日比谷高校)の太陽の中に桜をひっくりした桜の中に太陽であり、尋常科のさげカバンも一中と同じで、今はどこにも見かけないひどく目立つ赤茶色で、インク消しをこぼすと真黄色に変色するものであった。 このかばんは日時がたつとしらちゃけて、それが上級生の証であった。

 新制では高等科が都立大学になり、尋常科が附属高校になった。 旧制の高等科が大学になり、中学校程度の尋常科が高等学校になったから旧制のものが見ると、新制は名前だけ格上げしたように思えてならない。 旧制の高校生は哲学を論じたり、また将来専攻する学問の本や雑誌に既に眼をとおしていた。 それに比べて今の高校生はどうなのだろうか。

(一一回・旧職員)
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