Homeコラム八雲が丘の風

八雲が丘の風

同窓会理事長 宍戸迪武(13期)    

 東京都目黒区八雲1丁目1番。ここに2011年(平成23年)3月まで、私たちの母校「東京都立大学附属高等学校」があった。この地を、私たちは「八雲が丘」と呼ぶ。

 窓の空いた洒落た塀で囲まれていた7万u近いこの土地は、1932年(昭和7年)から1950年(昭和25年)まで、7年制の旧制府立高等学校の校地だった。府立高校は戦後の学制改革で東京都立大学と都立大学附属高校とに分かれ、1991年(平成3年)都立大学が八王子に移転するまで、大学と高校がここで共存していた。今は4万u弱が「目黒区民キャンパス」、3万u弱が6年制の都立桜修館中等教育学校となっている。

 確かにここは丘だ。東に歩くとすぐ坂を下って、環七に出る前に呑川の柿の木坂支流の谷を渡る。南に下れば目黒通りと平行に呑川の本流があって、都立大学駅の裏で柿の木坂支流と合流している。西に歩けばこれも呑川、駒沢支流が谷を刻んでいるのだ。北側だけがしばらく平らだが、駒沢通りを越えると回り込んでいる柿の木坂支流の上流にぶつかる。

 いまはどの川も暗渠化されて緑道になっているが、東西南北どちらに向かっても坂を下って川に出会う、確かにこの地は丘なのである。

 ところで、「八雲」という地名は、どこからきたのだろうか。目黒区の古い「月刊めぐろ」によれば、母校のすぐ南にある氷川神社と深くかかわっているという。

 氷川神社は、日本神話の素戔嗚尊(住謬賓債)を祭る神社である。素戔嗚尊が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して、奇稲田姫(クシナダヒメ)を救いだした後に詠んだ歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」は最古の和歌といわれているが、これが八雲の地名の起源らしい。目黒以外にも氷川神社は埼玉、東京中心に200社以上あり、総本社がさいたま市大宮区高鼻町の大宮氷川神社である。「八雲」が氷川神社と素戔嗚尊の和歌に由来するなら、各地に八雲の地名が残っていそうなものだが、あまり詮索はすまい。

  1964年(昭和39年)に採用された住居表示は「八雲1〜5丁目」だった。隣接する北が「東が丘」、南が「自由が丘」であることを思えば、「八雲が丘」でも不思議はなかったのだ。しかし、そうはならなかった。なぜか。

  私たちに言わせれば、現在の「八雲1丁目1番」こそが「八雲が丘」だからだ。旧制府立に学んだ先輩たちも、都立大附属に学んだ私たちも、桜修館に学ぶ後輩たちも、「この学舎をしたい来て、八雲が丘に集いけり」なのである。

(2012年7月掲載)
ページトップへ

東京都立大附属高等学校同窓会 MENU

Design by Megapx  Template by s-hoshino.com  Created by ez-HTML
  Copyright (C) The Graduates' Association of Senior High School affiliated to Tokyo Metropolitan University, All rights reserved.