過ぎ去った日の思い出は、心のうちに静かに淀み、ふと窓を開け放ったとき、失われた時をぬかりなく埋め合わせてくれるようだ。
馴れ親しんだ附属を離れて丸四年、新しい勤務先の仕事に追われ、振り替える余裕もない所へ六十周年記念誌にと突然のお話をいただいた。
私にとって附高の思い出はあまりにも深く、本心は自分の中にだけとどめておきたかったのです。
しかし二三年前、体育教師として大学の先輩の田中梢さんの後釜に迎えられた頃の新鮮なショックは今も私の脳裏をかすめる。
その頃は、生徒は教師を、教師は生徒をとても大切にして、同じ目の高さの熱っぽいやりとりがなんともまぶしく感じだ。
着任直後、放課後のテニスコートで私の下手なラケットさばきをみかねて、丁寧な言葉使いで懇切に教えてくれた人がいた。
風貌からしてまちがいなく都立大生と思い込んでいたら、次の日の教室にその彼が座っていて、びっくりしたことがある。
まだあちこちに古き佳き時代の名残りが漂っていたように思う。
間もなく暗く重苦しい学園紛争の幕開けである。
ヘルメットに身を固めた軍団の中にクラスの子の、頬染めたあどけない美顔を認めたとき一瞬彼等との距離が縮まったような気がした。
紛争のあとの大小の課題の波にあえぎあえぎしながらの年月は非常に長く思えた。
やがて附属も刻々と平凡な学校に変わりつつあるこをその中で肌で感じた。
でもそれはとれもよいことがと思っています。
ただ、長く息づいてきた附高生気質だけは、今後、学校の内容が変わることがあっても、連綿と受け継がれていくでしょうし、又そうあってほしいと思います。
還暦を迎えた学校の歴史と、附高生の名のもとにある人と、そこから巣立ちゆく人に高らかに乾杯!!