Homeコラム創立25周年記念誌遥かなりわが青春(2)

 昭和二十四年といえば、下山事件、三鷹事件、松川事件など一連の事件の起った年であり、私にとって忘れられないイールズ声明の出された年でもありました。 総司令部顧問のイールズ博士が、新潟大を皮切りに各大学をまわり、共産主義教授の追放を講演し、学問の自由と学園の自治のため、各地で全学連を中心としてイールズ声明反対闘争が火ぶたをふきました。 そしてその後、レッドパージ、共産党の非合法化、警察予備隊の強化とすすむ中で、昭和二十五年朝鮮戦争は起こされたのでした。

 出来上がったばかりの都大附属の生徒自治会も、生徒総会の大多数の意思により、イールズ声明反対のストライキを決議し、実行しました。 種々の文化運動サークル活動も活発で、記念祭には原爆の悲惨さを訴える写真展などを、徹夜で準備したのも楽しい想出の一つでした。 私立の女学校での閉鎖的な良妻賢母型の子女育成の教育から、自分の主張をはっきり表明し、行動出来る自由の中に身をおいた私は、夢中でした。 激動する社会情勢に遅れまい、その中で何らかの役割を果たしたいと必死でした。

 ところが誇り高き旧尋常科のエリートたちは、女子はバカだと嘲りました。 でも口惜しいかなほんとうなんです。 私はちょっと気を許すと、学校の勉強もどんどんおいていかれてしまうんです。 いい成績をとるためではなく、皆についていくために、これも必死で辞書とくびっき、教科書にへばりつきました。 生徒総会で発言しても、頭が悪いくせにと蔭口をいわれ、また面と向かって嘲笑されたこともありました。 でもその通りなんですから、なにも返す言葉もありませんした。 でもなんて懐かしい想出なんでしょう。 同等の資格で同等の実力で共に学んでいられる現在の高校生の方には考えられないことでしょう。 歯をくいしばった努力が、あとで大いに役立ったのでした。 十六才から十八才まで、あの画期的な三年間、私は私なりに精一ぱい生きたんだという満足感が、今の私の中に快い想出となり、確かな基礎になって生き続けています。 豊かな環境と豊かな仲間たちへ、心から都立万歳を叫びかけたい気持でいっぱいです。

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