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都高で得た生涯の友〜「野球」と「うた」

27期 大野文博    

 昭和五〇年(1975)年、夏の甲子園大会東東京予選第二回戦。 あの日もすごい厚さだった。駒沢球場グランドの体感温度は四〇度を超えていた。 対戦相手は駒込高校。 八対八の同点延長で迎えた一〇回の裏、先頭の根本がヒットで出塁し二盗、続く江島がバント失敗するものの一打サヨナラのチャンスで自分に打席が回ってきた。
 前の回の守備「なにやってるんだ!」私の打球処理が緩慢に見えたのだろう。 熱すぎる村松の激が飛んだ。「バットで返せ」。
 試合は荒れていた。両チームあわせて二七の四死球。田中は顔面にボールを受け、陥没骨折。 退場し、救急車で運ばれていった。
 いろいろな思いが交錯するが、バッターボックスでは冷静な自分がいた。 「ボールは見えている。」前三打席ヒットを続けていたその時は絶対に打てる自信があった。 二球目をファール、レフト戦をわずかに越えていたが芯を捉えた。 「よし大丈夫だ」次のスイング、打球は左中間にライナーが飛んだ。 センターが斜め後方に追い、打球がバウンドする。 根本がホームを駆け抜ける。サヨナラ勝ちだ。
 一場面一場面が鮮烈に思い出される。あの瞬間、バットにボールが当たった感触までが蘇る。
 何か異常なテンションが支えていたのだろう。
 その後、何十回と試合をしても 同じ感覚は味わえなかったが野球は生涯の友となり、今でも離れられない。 そのDNAは息子たちにも引き継がれた。

 もう一つの友、それは「うた」だ。 記念祭とクラスマッチのエンディングは「ファイヤー」。 そして謳われていたのが「うたごえ」のうただ。 一番気に入っていたのが「若者よ」
♪若者よ 体をきたえておけ 美しい心が
 たくましいからだにからくも支えられる
 その日がいつかは来る その日のために
 体をきたえておけ 若者よ
先日、町会の新年会で久しぶりに歌ってみた。
歌詞を間違えてしまった。はやり「もう若者ではないのだ」と思う。

(閉校記念誌(2011年3月発行)からの転載)   

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