私が入部した頃の剣道部は私の6つ上の代(20期)の方たちが立ち上げ直した新興クラブでした。そのためか部の予算は少なく、専用の道場がある訳でもなく、週2日(月・金)、体育館での稽古。水曜日は駒沢公園へ走り、筋トレと柔軟を実施していました。当時、肥満児体質の私は走るのが大の苦手、周回路に入る頃には一人脱落。雨が降れば中止かと思えば、さにあらず、古い大学校舎の暗い階段を40往復。あれは梅雨の頃かな、流れ落ちる汗が染みのように石段に黒く広がったのを記憶しています。
剣道の練習は厳しかった。私自身は小学校高学年から剣道を始めていたのですが、竹刀が三六から三八(三尺八寸)に変って扱い難かったことと、防具をつけてからの稽古が大変。所詮、中学を出たばかりの体力とスピードでは太刀打ちができず、上級生にいいように叩かれて、時には体当たりを食らって床にぶっ倒れていました。
剣道部で一番の思い出は毎年OBも参加する長野県飯山市戸狩での夏合宿でした。暑い盛りに防具と竹刀、着替えなどの大荷物を抱えて、特急電車とローカル線を乗り継いで戸狩に向かいました。
夏は面を被るだけで大粒の汗が噴き出し、汗を吸った道着も次第に重くなり、体力をむしり取ります。素振りから始まり、打ち込み、面を被っての掛かり稽古、そして、最後には円陣を組んで、一人の掛かり手が元立ち(受け手)を次々に代えて挑みました。一人相手20秒から30秒、それを時には10人に対峙し、面や胴打ち、打ち込んだ後はさっと走り抜け、振り返って次の技を。少しでも遅れると円陣を組んでいるメンバーから罵声が飛び、竹刀で叩かれ、時には体当たりを食らいます。
しかし、開け放たれた道場の窓からは、時折、高原のさわやかな風が吹き、汗をぬぐってくれました。稽古が終わり面を外したときの爽快感は何物にも代え難いものでした。
当時の顧問は英語の西山節先生、合宿には工藤好吉先生も同行されました。工藤先生は剣道の有段者、真っ黒な顔にこやかな笑顔を浮かべながら、厳しい打ち込みをされたのを記憶しています。最終日の夜には各々が剣道に対する思いや成果について真剣に話をしたことは、思い出深いです。
私は卒業後も3年間は戸狩の合宿に参加しましたが、4年目は後輩たちは校内で合宿し、食事も自炊、なぜ、中止になったんだっけ?卒業後も繋がりがあった剣道部ですが、いつしかそれも絶えていましたが、昨年4月にOB会を開催しました。久し振りにあった顔はすぐにわからなかったけど、面を被ったときの横金から覗く眼孔や竹刀を構える姿勢がすぐに浮かびあがってきました。
集まったメンバーは、26期から31期まで、この中で現役の剣士は一人だけ、それも大学生時代に日本選手権に出場した女性剣士です。次回は上の代や下の代に声を掛けて集まろうと約して散会となりました。