私が都立大学附属高等学校に入学したのは学園紛争 真っ盛りの時でした。教務室が封鎖されていて、6月ぐらいまでは授業はなかったと思います。
私は直ぐにサッカー部に 入部しました。当時の練習 はキャプテンが考えてやっていた記憶があります。土曜日になるとOBがたくさん来て色々と面倒を見てくれました。合宿も OBが練習メニューを考えてくれ、練習試合なども組んでもらいました。また春休みには沼津の寮に連れて行ってくれ、毎日のように近くの高校と話をして練習試合をしました。これが、その後の大会での良い成績につながったと思われ、感謝していました。
この頃の都立大附属は都立高校では強い方で、先輩たちは帝京高校に勝ったことがあったそうです。卒業しても伝統を守りながら後輩の練習の面倒を見たり、夏の合宿や春の遠征試合に連れて行ったりしました。 その後社会人となり、高校の練習や合宿には行かれませんでしたが、OBでチームを作り目黒区の大会などに 出ていました。
そして月日がたち、都立大学附属高等学校がなくなり、桜修館中等教育学校という中高一貫の学校ができる時がきました。
中学生が入学してきて サッカー部もできましたが、その時の顧問の先生が審判 の資格を持たれていないの で困っていると都大附サッ カー部のOBから話があり、資格を持っている私が試合の時に審判に行くようになりました。
最後の都大附の生徒が入学し、桜修館の一期生が3 年生になった時に、 数年ぶりにサッカー部の合宿に参加しました。
そんなきっかけで若手の20代、30代のOBと知り合い、私より上のOBと若手のOBと一緒になり新しい会を作ろうということになりました。「八雲桜蹴会」の名前で都立大附属と桜修館にまたがるサッカー部会を立ち上げ、中高の現役サッカー部を支援することになりました。私は合宿に行った次 の年から主に桜修館サッ カー部の中学生の指導をするようになりました。合宿にも参加するようになり、都大附の生徒が全員卒業してからは、中学、高校のサッ カー部の面倒を見ています。
夏の合宿ではOB会から粉末のポカリの差し入れをしたり、わざわざ陣中見舞いにすいかを持って来たりしてくれる年寄りの?OBもいます。現在私は中学生を中心に、時間がある時は高校生の練習も見ています。1期生、2期生のサッカー部からは現役で東大に入学する選手もでました。文武両道の選手を育てられるようにこれからもサポートして いきたいと思います。