創立間もないころの府立高校には、当然ながら歌がありません。「われわれにもっと歌を!」「われわれ府立高校独自の歌を!」「府校生の唄う歌が流行歌と他校の寮歌になってしまうぞ!」このような声に応えて、校歌の定まった翌年につくられた歌です。
寮歌の伝統と常道をよくていし、漢語をちりばめつゝ感傷をこめて想いを語り、ゆったりとしたリズムで荘重に歌い上げる。堀り高き高校生の放歌高唱によく似合う歌ですから、盛んに歌われました。
旧制高校では、全高校対抗のスポーツ大会「インターハイ」に母校の栄誉をかけます。そこでは、太鼓を叩き母校の寮歌を歌い合う応援合戦も盛ん、烈誠の士が腕をかざしつつ潔き使命を思うこの「嗚呼烈誠の」は、試合に負けたときにもよく歌われたのでした。「士にかかる」を「死にかかる」とイメージ、劣勢に倒れた勇者を讃え、桜吹雪の降りかかる姿を想ったのです。
なんという直截な歌詞、なんという明快な旋律でしょうか。紅顔の青年が八雲が丘に立ち、みなぎる生命を輝かせ、雄叫びをあげて戦う決意をうたいあげた府立の人気曲です。
学校創立から九年、充実期を迎えた府立高・昭和十三年の記念祭に向けて創られた歌で、前年から始まった中国との戦争が日本国内に暗い影を落としていましたが、戦局は断然有利、満州には新天地を求める多くの日本人が入植して開発に務め、国際的にはドイツと結んでアジアを犯す植民地大国米英に対抗しようと、日本政府は「大東亜共栄圏」を提唱。
府立高校生にも、当時の「大日本帝国」にも、不安を乗り越えて新しい未来、新しい発展、新しい世界秩序に挑む、青春の気が充ちていたのでした。