(「府立高校旧友会報」より了解を得て、転載させていただきました。)
昨年夏以降相次いで全国各紙に、府立の同窓生の詳細な訃報が写真入りで掲載されましたが、8月の高橋元さんに続いて、10月には三善晃さんの記事でした。
高橋さんが戦後官界のトップとして活躍されたのに対し、三善さんが全く違う音楽の分野で日本のみでなく、世界に知られた天才だったことは、府立出身の人材の裾野の広さを示すものとして誇りに思います。 しかし三善さんも尋常科時代は、講堂のステージ脇の小部屋にあったアップライトのピアノで、暇さえあれば一心不乱に練習していた姿が想起され、その後フランス政府給費学生としてのパリ国立高等音楽院留学を経て開花された才能は、八雲が丘でひそかに育てられていたものかと思われます。
彼の作品は「レクイエム」「詩篇」「響紋」の代表的三部作をはじめ、オペラや合奏曲などクラシック音楽のあらゆる分野に多数残されていますが、合唱コンクールの課題曲も数多く、教育者としても立派な業績を残し、日本芸術院会員として文化功労者になっており、フランス政府からも文芸勲章を贈られています。 府立の同窓生仲間の中で最も若い世代の80才という年齢で逝去されたのは残念でなりませんが、数多く遺された楽曲の作者としての三善晃氏が、都立高校の尋常科と都大附の第一期生として、八雲が丘で同じ校歌を歌い記念祭歌の作曲もしていた事実を、桜修館の諸君に語り継がなければなりません。(山田早苗記)