Home会報同窓会報 第8号

教員増による変化

 新任の先生方が増えた教員構成で、学校のうごきに変化が出たか−そんな質問もあると思う。 新任の先生方は立派な方々で、本校の自治の形態が他校とちがうのにまず驚かれ、そのあとで良い方の点をつけられる。 ご自分たちの主張より、まず学校の伝統に従うとなさる方が多いので、あまり目立った変化はないようである。 生徒の自由への束縛は加わっていないが、自治や自由のはきちがいを叩くきびしさも遠慮がちにみえる。 全教師間で教育討議が必要なときがきているように思われる。

生徒たちの伝統への関心、今も旺盛

 −だが気になる生徒の一般大衆化的傾向、歌も寮歌から松の木小唄まで

 生徒たちが自治と自由の伝統を守ろうとする意欲が、今も旺盛のように見える。 しかし、自治の意味や、集団としてなぜまとまらなければならないかを、卒業しても理解しない人が少人数出てきたことも事実である。 以前のように、ほっておいても、生徒自身で伝統を身につけ、自治を学ぶときではなくなった。 教師やOBが見守り育てる努力が必要になってきた。 その原因の一つは、中学校教育の変化である。 入試の学力は、たしかに高くなったように見えるが、アチーブ頭的形式化もすすんだようである。 マスコミの影響が強いのは当然であるが、「頭のよくなるガラクトース」といえば、あたかも知っている糖の如く覚えるコマーシャルを教師は利用すべきなのか。
 先日、一年の一クラスを土・日をつかって東京郊外で合宿させた。 いくつかの班をつくり、話し合いをしたり、歌をうたったり、一年と思えぬほど統一された指導体制を、自分たちでやってのけた。 元気一杯で、なかなかよかったが、高校生活四十日では、中学からの内容がまるだしのように思えて、興味深かった。 各班の討議に一番多く共通したのが男女交際の問題であった。 今の高校教育の中では男女共学のよさは、誰にも認められているが、しかし男であり女である前に、人間としての完成をめざすのが高校教育の意味であることを話したが、判ってもらえただろうか。 歌も”松の木小唄”などあって私も教わった。 しかし、みんなでうたえる歌という意味で、だんだん寮歌などに傾斜しはじめていたが、歌謡曲的ムードが全国的に公然化してきている傾向は否定できない。 以前は、寮歌やうたごえ以外は、気はずかしくて、遠足のバスの中でも歌わなかった。 この事は生徒の一般大衆化的傾向として、よろこんでいい事から悲しんでいい事か、考えなくていい事か、私にはよくわからない しかし、生徒の自然発生の中から、飛躍を求め、自分たちの進路を真剣にみつめて、社会に役立つ人になろうという声がわき起こるのを待つ気持ちは昔も今も変わらない。

OB・OGへの期待

 どうしたらそうなるのだろうか。 大学へ進学してから、心から自治と自由の大切さを身にしみて感じ取ったOBやOGが、その触媒となることを望んだのが私の学習会を開く試みとなった。 点火されたその火は、授業の中に、話し合いの中に、先生や生徒とのふれ合いの中で、強く燃え上がることはできないのだろうか。
 ”友だちは網の目をつくって、そこから孤立する人のいないように”、そんな注意をした合宿の日にも、偏食からの不参加や歌や踊りの輪から一人はずれる者など、やはり、みんなの中へ入れない人がいた。 けれども、それらのことが、友達集団からはずれることだいうのも早計でもあるし、また、だから個性的だというのも、言いすぎである。 昔はもっとこんな人がいたのだろうか、少人数のために目立たなかったのだろうか。
 学校教育が、マスコミを含めた社会教育全体の中で、日々に比重が小さくなっていくのをしみじみ感じる。 多人数学校は、生徒一人一人への教師としての注意力の度合をうすくさせている。 どうしてもっと強い結合体をつくったらいいのか。 生徒相互のつながりをつよくすること、教師が集団として連帯し交流して、生徒の実態を知り、集団指導体制をつよめること、よき伝統の場と人を考えて、接触の場をつくることであるまいか。
 卒業生諸氏のご援助を願う次第です。
 ごきげんよう。


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