美研の旅

18期 山内通生    
美術部

湖青し
忘れ路の文
さざ波に

 高一の夏合宿、精進湖の航跡です。 湖畔の思い思いの場所で描くつかの間の休み時間、同期の岡本あさ子さんをお誘いして漕ぎだした青春でした。 宿の西湖ユースホテルで、2年生の平林和幸さん(17期)が外人父子に英語で話しかけていました。 平林さんは話し好きでユーモラスな人柄でしたが、読み書き・文法が主流だったあの時代、都高の長いフルネームを英語で紹介していたことに感心したものです。

 半世紀ののちの2014年1月、ニュースで或る訃報が伝えられました。 前武蔵大学学長という肩書に心当たりはありまんでしたが「ひらばやしかずゆき」というお名前で、専門は近代フランス詩・文学、ヨーロッパ美術工芸であと…まさかと思いましたが、「美術」の二文字が気にかかり、あらためてウィキペディアの「都高の著名な出身者」をたどってゆくと、そこに「学長」のお名前を見つけたのです。

 2016年10月、早大大熊講堂での「柳谷小三治一門会の夕べ」でのことでした。 人間国宝小三治師匠の一席は、悠然とした独自の「間」で「まくら」を楽しませたあと、いきなりその名前が飛び込んできたのです。そして「ひらばやし」は面白くおかしく、読み方を変えて何度も何度も繰り返されました。 この夜の演しものは知らされていなかったこともあって、突然の「平林さんの出現」に私の驚きは大きく、至芸を楽しみながらも不思議の思いでいっぱいでした。 これまで私の身近の「平林」さんは、美研のこの先輩おひとりだけでしたからなおさらです。

 一連の出来ごとや美研の思い出をブログに綴ったところ、荻原文子先輩(17期)が読んでくださいました。 「早稲田つながり」でもある荻原さんとは、数年前の(早稲田)ホームカミングデーに続いて、昨年、再(々)会がかなったことは望外で、黒羽先生の思い出を書いたブログをご覧になられたこともまた。

 さすがに思うところがあり、遅ればせながら「同窓会名簿2005」を購入しました。

 同窓会のために尽力を頂いている宍戸迪武さん(13期)が美研のOBで、ご勤務の竹橋の新聞社は、私のいた商社の文字通りお隣であったことがわかりました。

 美研の先輩では、「絵を描いているところを見たことがない」鹿島則雄さん(16期)もすぐ近くの出版社におられ、いっとき神保町の居酒屋で親しく飲んだものでした。 平林さんの親友、秋草広民さんが、私が通った世田谷淡島の幼稚園で歯科の校医をされていたのも何かの縁です。

 昨年暮れ、卒業50年の同窓会は感動的でした。 懐かしい同期の顔のなかに美研では「湖上のひと」岡本あさ子さん。「準備会」をともにつとめ旧交を温めた矢島友博君、「都高の怪談」を教えてくれた三浦達男君、実は「山男」の磯西洋一君、唯一の「芸大生」石田博君が。

 美研の旅は、幼い日耳にした「はるかな尾瀬」(2年)に続き、信州菅平の高原で終わりました。 ときおり松代地震の余震に揺れた日盛りのゲレンデは、やがてもの想う秋へと移ろってゆくのです・・ホームカミングデーのあの日、八雲が丘に集まったみんなは気が付いたはずです。
♪ 青春は忘れもの
  過ぎてから気がつく
  (阿久悠『思春期』)

(同窓会報 2019年6月号からの転載)   

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