「機研」が芽生えた頃

1期 水谷洋泰  
機械技術研究部

 敗戦。日本は大敗した。 昭和二十年夏。 この年の春入学した尋常科一年生が援農隊や疎開から解放されて帰京、年が改まってようやく学校らしくなる。

 東京は焼土と化し、鉄道も荒廃して、戦災で焼けた車両をタタキ直し不足を補いながら運行した。 一年生の中には、のりもの好きがいて、都立大学駅−学芸大学駅間の東急碑文谷工場(現在ゴルフ練習場)へタタキ直し工事を、連れ立って見物に通い始めた。 さらに、図工の松岡正雄先生に、模型工作用工具の使用許可をいただき、工作室で語り合うようになる。 「機研」の種(たね)の時代である。

 学校制度変更で都立大附属高校誕生、二十年入学組が一期生となった。 二期以降、女生徒も入学し、クラブ活動が開始される。 鉄道模型の仲間達も、より広く技術に親しもうと、「機械技術研究会」を旗揚げした。 こうして「機研」が発芽したのである。

 機研OBは、昨十八年秋、都立跡地の目黒区民キャンパスに一期−二二期の約四十名が集合。歓談して今後の交流を約束した。

(同窓会報 2007年9月号からの転載)   

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