教育改革の歩み

岩間 管理主義とは無縁の学校だった、闘争課題は他の学校とは違った面があったということですが、ビラを見ると、早熟的で過激ですね。 二番目に、長期間続くということ、三番目は、なしくずしに正常化するというような特徴があるのかなと思います。 とくに、長期化の中で、卒業式だけではないわけですね。生徒から項目要求が出ている。 その中で、たとえば授業に対する取り組みとか、多くあった思いますが。

 社会科あたりの授業改善案ですが、あのとき、教員の側が出したビラがいろいろありますね。

小野 表向きに授業をやったことにしたが、実際は話し合いで、教科との話し合いで教員が新しいプランを持って教科を変えていく。

 それは回復する時期のほうへ入ってからですが。 そして、話し合いをやっていった。 「附闘委」以外の人からはそういう要求が強かったが、「附闘委」の人たちはずっとそれには反対していたよ。 だから、授業が始まっても出席しなかったね。 だけど、みんなのほうが授業をやっていこうとなっていって、新しいプランでみんなやっていこう。 だから、教員主導型ではなくて、このことは絶対やるとか、いまでもそのときの話し合いのプランを持っていますが。

喜多 全体的な紛争についてはあまりしゃべる資格はないのですが、四十三年秋ですか、いろいろ出た改革の一こまをあげますと、結果的な善し悪しは別として、定期試験をやらないということ。 これは一つの大きな授業改革になったわけです。

 もう一つは、可能な限り、学科の体系を崩すといいいますか、広げるといいますか、それぞれ孤立して、あまり交渉のない、いわば教師の反省として、お山の大将みたいな、他からの干渉を排除するみたいなものを改めるということで、ぼくは春山さんの授業に出たのを覚えているのです。

春山 一緒にやりましたね。

喜多 ちょうど春山さんが「最後の授業」というドーテの英訳を読んでいる。 これは社会科にとってもおもしろい教材でした。 ぼくも生徒に混じってそれを聞いて、それから英語の質問もしました。 「Iというのはなぜ大文字で書いてあるのか」、そういうくだらん質問で(笑)、英語の中身はあまり知らないから、そういうことで苦しめたのを覚えています。 英語で訳しおわったその後、ドーテの作品の書かれた背景みたいなものをしゃべったのを覚えているんです。 フランスとプロシアあたりの。 それまでになかった、試みみたいなものがあったのを覚えていますね。

 生徒からの要求で、複数教師制みたいなことも出てきたんじゃないでしょうか。 独りの教師がしゃべるのではなくて、同じテーマで何人かでしゃべる。 それは社会科に対してとくに強かったでしょうね。

 それから、これは職員会議でも討議されたように覚えているのですが、いままでにないようなテーマを、できるだけ必要な授業時間数を少なくして、放課後にでも持ってきたらどうか。

岩間 自主ゼミみたいなものですか。

小野 自主ゼミはやっていないんですよ。複数とか教科そのものを変えていくというかたちで、あそこは他の学校でやったような自主ゼミはやっていないんです。 いまでいえば総合口座みたいなものは少しやりました。

喜多 言語の問題みたいなものをやったのを覚えていますよ。

小野 三人くらいのグループを組んで、総合講座的なものはやった。

安食 教科として社会科学概論とか、理科とあれと一時間ずつつくったのです。何年続いたか覚えていないけれど。

岩間 時間外ですか。

安食 いや。枠の中で。一年生全部に一時間ずつ。やったのはぼくと校長さんになった福本さん(編者注:福本芳治教頭。在職期間:1970年4月1日〜1972年3月31日)。 自然科学概論と社会科学概論というのかな。 名前だけは立派なやつで、喜多さんあたりに、「おまえ、やれ」と言われて一年間だけやった覚えはあるんですけれど。 あれも要求の結果です。 定期試験がないから、社会科ではレポートがべらぼうに課せられたと思うね。年間六通か七通。

工藤 定期試験がなくても、英語や数学など、どのくらい理解したかを試すための小テスト的なものはいいということで、行われていましたね。 各教科でのいろいろな工夫は体育でもあったんです。 というのは、いままでみたいに一斉ではなくて、生徒が企画し、やらせろ、と。 それもいいだろうというので、代表を決めまして、その前にどういうプランでするか、ずっと計画を立てさせたのです。 それは生徒がやっていたって長く続きっこないんで、すぐ崩れてしまいました。

 そこで変わったのが、いま三年行われている選択です。 いまはどこの学校でも行われていますが、あの選択制は都立でもうちがいちばん早く取り入れたんじゃないかな。 あれも一つ、生徒からの要求でもあったのです。

安食 三年の選択の内容が、いまは受験指導に重点がいっているけれど、あの当時は、おもえらが要求してやるというのだから、一年間、都市問題なら都市問題、公害なら公害をやるとか、だれ先生は何をやるとか、生徒からテーマを出させて、そのテーマに関して一年間やっていました。

工藤 それで、体育は三年で四単位。小野さんが教務をやっているとき、家庭科は枠外にやっても違法ではないというので、七、八時限に持っていって、体育を四単位にしたというのは、生徒に非常に好評でしたね。

小野 男女共通でね。

工藤 教師がマンネリで試験のために授業をしているんじゃないかと言い分は必ずしもないことはなかったですね。 そういう点で、教師がある程度反省する意味ではプラスになった…もあるかもしれません。

 
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