都高の将来

岩間 それでは最後に、話残されたこと、あるいは今後の都高について、お話しいただきたいと思います。

柴田 私が生活指導主任をしていたころでいちばん印象が深いのは、千鳥ヶ淵の無名戦士の墓に集団参拝したことです。

小野 六〇年安保のときでしょう。

柴田 どこへ行くっていったんだっけ。議会だったか。

小野 そう。行く行かないかだ。

柴田 無名戦士の墓に行ったほうが、平和運動としてむしろ本質的だと言ったんです。 行かないかと言ったら、自治委員会が賛成したんです。 それじゃ行こうじゃないかと、校長の許可をもらいました。 無名戦士の事務室の中に入り込んで、そこで様子を窺っていたら、花輪を持って、ずーっと並んで来たですよ。 みごとでした。ああ、やるわいと思って見ていたんです。 そのうちに、花輪を私のために一つしつらえてくれまして、生徒が集団参拝をしたあと、「これを先生、やってくれ」と言うんです。 向うで作ってくれたものですから、しようがない、私がのこのこそこに現れたわけです。 どこにあったか、それは知らなかったんです。 それで、あの集団のあと、参拝させてもらいましてね。

 そのとき、たいへん好評でしたね。 都のほうでも、「ここへ集団参拝してくださったのは初めてです。たいへんありがたいことだ」というので、無名戦士の墓の事務局の人がえらく喜んでくれました。

 生徒はぼくをばかにするだろうと思ったら、拍手の中ですよ。 その中でぼくは集団参拝のけじめをつけたんです。 学生はやっぱりまともだなと思ったですよ。

岩間 靖国神社へ行くのとは全く意味が違いますからね。では喜多先生、いかがですか。

喜多 いまの時代で個性的な学校である、それはやはり正しいんじゃないかと思うので、そういう学校の伝統みたいなことは維持してもらいたい。

 もう一つは、ぼくの教師としての体験からいうと、どういうふうに生徒の質あるいは時代性が変わっても、ぼくがいたころの全力投球やっていた先生方の姿を思い出します。
生徒をばかにしないで、生徒のところまで降りていって全力投球をやっていた。 これも教師の伝統のような感じがしますので、そういう意味で個性的であってほしいなと思いますね。

岩間 いまいるような人が叱咤激励されるようなお話ですね(笑)。

喜多 決してそうじゃないんですが、ぼくももうやめて二〇年くらいになるわけです。 だけど、いまの自分の●●(編者注:文字が印刷不明)みたいなものが、学生時代よりもむしろ都立高校の教師をやっていたときに作られたような感じがするものですからね。

柴田 かなりいじめられましたね。

喜多 ええ。かなり緊張して教室に出て行った。 紛争のとき、講義をしていると、廊下でスピーカーを使って、やるわけです。 それに対抗するために、声も張り上げないといけないが、内容的に生徒をこっちに引き寄せるくらいのものを持たないといけない。 全力投球せざるをえないということでしたね。

小野 ぼくは二八期の生徒を卒業させたところで、学校をやめているんです。 ちょうど、回復できて、ファイアー禁止のあと、もう一回、ファイアーに火をともしたという学年です。 この間、同級会をやりました。 筑波のほうにいる女の子が、結婚した翌年、旦那さんをつれてきて、附属高校の外を見て、あの道を歩いて、旦那さんに学校の話をしったということを言ってくれたんです。 それは紛争後の連中なんだけれど、初めの時期から一貫してそういうふうだと思うんです。 そういうふうに、卒業生自身にも強烈な印象なり何なり、自己形成の何かの基盤だったというものを与えている。これが一つです。

 ただ、いまのそうだということですが、どうやって存立できるか、潰されてしまうんじゃないか、あるいは始めから存立の危機をつねに内蔵していたように思うんです。 そういうことが実際に言われていた。 そういうことをいろいろ耐えながら、ある程度ユニークなものを持ち続けた学校ですので、今後どうなるのかよく知りませんが、何とかそういうものをつないでいかれれば、卒業生を含めてそれにこしたことはないんじゃないでしょうか。

工藤 附属へ来て、紛争のころ、できるものならやめたいという気持ちが毎日続きましてね。というのも、夜中、安心して眠っていられない。 いつでも呼び出された。 そんな立場で、生徒と話しをしても、聞き入れてくれるような場面があればいいけれど、全然そのへんはなくて、教師をやめたかったなという気持ちでいたころを思い出しています。 それがいまは、平和な、先生方と生徒が密着しつつある学校になったところで退職したことを、非常に喜んでおります。

 もう一つは、これで大幅に附属は新しい先生に入れ変わってしまうわけですが、自由と自治の伝統はずっと続けてほしい。

 最後に、この一二月あたりで大学との敷地の問題などが決まると、いまの校長が言っています。 この六十周年を契機に、ぜひ、先生方、生徒が希望するような、できるだけ広い敷地を確保できるように、いま、残っている先生方にお願いしたい。

岩間 教員が、生徒ともどもですけれど、一生懸命に自由と自治的な能力を育てようとして、いろいろな節目はあるのでしょうが、努力してきたことがよくわかりました。貴重な話を伺いまして、どうもありがとうございました。      <文責・編纂委員会>



 
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