岩間 ただ、普通高校じゃないのは、大学との関係ですね。
大学の附属「附置」高校だから、ある意味で自由にできた部分もあると思うのですが、大学との関係でいろいろ難しい問題があったのではないですか。
とくに二〇年から三〇年代にかけて、学校のあり方ということで大学と話し合いがなされていますね。
都立大の移転ということもありまして、大学との関係はいま現在では非常に難しい問題になりつつあるのですが、いかがでしょうか。
工藤 ずっと前からあったようですが、小場瀬さんが臨時の校長になってきましね。
そのとき、だれを校長にするか、総長のところで決まらない。
というのは、ここらへんで附属高校の在り方をちゃんと決めようという、そんなことが出てきたらしいですね。
そこで、古川原さん(編者注:古川原第七代校長。在職期間:1967年4月1日〜1970年11月30日)が教育学だから来て、附属高校の内容を少し変革していこうとした。
そのとき、話では、大学に教育学部を作って、附属をちゃんとした組織の中に入れていったら、附属のあり方ももっと鮮明になるんじゃないか。
会計面がいちばんつらかったそうですね。
大学だけの会計、附属のほうも全部、会計を通ってからでないと出庫できませんでしたから。
そんなことで、大学のほうもなんとか会計面だけでもということで、五二年でしたか、会計は全部、附属に出向する。
それと同時に、校舎の管理も、総長ではなくて、附属の建物は学校長が管理する、そんなことで、附属をだんだん引き離して来た。
その原因も、どうも古川校長さんが来て、附属のあり方を鮮明にできないままに、また元のままずるずると来てしまったので、ここらへんで少し整理できるものは整理しようというので出てきたのが始めじゃないか。
ですから、附属の将来性、どうあるべきかは、これからそろそろ安食さんを中心に煮詰まってきているだろうと思うのですが、そういう見方は、推測も含めますが、正しいんじゃないかという気がします。